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公務員から旅人へ。便利グッズ。たまに備忘録。

自衛隊での体験と照らし合わせて思うこと。警官による上司射殺事件。

彦根警察官殺害 19歳巡査、配属2カ月…「交番で先輩を銃撃」背景に何が(3):イザ!

交番に配属されたばかりの当時19歳の警察官が教育係である上司の頭を撃ち抜いた去年の事件。

事件の概要が詳しく知りたい方は「河瀬駅前交番警察官射殺事件」でネット検索してみてほしい。

「撃たれた上司には問題がなく、若者特有のキレ症」だとか「最近の警官は甘やかされて教育されてきた」という警察関係者の意見をニュースで見て、「は?」と思ったのを今でも覚えている。

そしてこの事件を思い出すきっかけとなったのが今日のネットニュース。

彦根警官射殺 元巡査の心神耗弱主張 検察側は「完全責任能力」と反論 - 毎日新聞

元巡査の心身耗弱が主張されたそうだ。

この事件を起こしたのは、元巡査が念願の警察官になってからわずか1年後だった。

考えてみれば、私と同じ時期に入隊をしている。元巡査は警察官へ、私は自衛官へ。職業は違えど、同期だ。

元巡査は中学校、高校は野球部に所属し自宅前で素振りをする姿もよく見られていた。中学の文集には顧問不在の1週間、練習の手を抜いたことを振り返り、「甘えた自分に腹が立った」「なまけた時間は永遠に取り戻せないのだと思うとくやしい」などと記していた。高校の野球部でも「後輩思いで、練習も休まず参加するまじめな子」だったといい、実直な性格の一端がうかがえる。

高校入学後、次第に「警察官になりたい」という思いを強め、周囲から大学でも野球を続けるよう勧められても気持ちは変わらなかった。高校最後の大会が終わった平成28年夏には、滋賀県警察学校のオープンキャンパスにも参加。地元紙の取材に「交番で働き、市民の身近な存在になりたい」と夢を語っていた。

 29年4月に滋賀県警に採用され、昨年1月29日に彦根署に配属、3月26日付で事件の舞台となった河瀬駅前交番勤務となった。それから約2週間後、上司を射殺するという凶行に及んだ。

・・・私はこの加害者である元巡査の気持ちがどうしても共感できてしまう。

確かに肯定をしてはいけない事件ではある。ましてや加害者のことも被害者のことも私は実際には知らない。

しかし元巡査がどうしてこのような凶行に移ってしまったかを代弁してやりたいくらいに・・・分かる。分かってしまう。

公務員だけでなく、社会に足を踏み込むと理解できない指示を飛ばす上司の1人や2人は居るもんだと思う。

「そんな上司はいない!」と言うならば、きっとその人は余程の人格者かたまたま周囲に恵まれたか、もしくは社会に足を踏み込んだことがない人だろう。

理不尽なことを言われても、あまりにも非人道的なことをされても「公務員ってのはこういう世界だ」とか「自分たちの仕事は特殊だから多少のことは許される」とか、訳の分からんことを言って自らを肯定する風潮にある。

私の実体験であるが、ある部署で、自殺をした人が居た。しかし私の上司は何故かそれを美談にしようとする。「死んだ〇〇の分まで精一杯頑張りましょう」って、「死ぬことはあまりにも悲しいことだ。死ぬという決断をする前に相談してください」って。必死に熱弁していた。

なんてバカバカしいことを言うのだろう。
人が死なないと分からないことなのだろうか。

普段から卑怯なやり方で部下を痛めつけ嫌がらせをしてきたくせに、なんだよ。あたかも自らの行いを許してくださいと神頼みをしているようなその口ぶりは。

そして現に、私もその嫌がらせのターゲットとなっていた。

生まれて初めて「死にたい」と思ったことがあった。それも一度じゃない、毎日毎日「死にたい」と考えていた時期があった。

こうなったのは自業自得なところもあるのだろう、これも罰なんだろうと考えて抜け出すための手段をあれこれ考えるが、考えて浮かぶ度に何もかもが嫌になった。

周りからすれば些細なことだったのかもしれない。

抱え込むほど辛い悩みではなかったかもしれない。

しかし権力を行使し、なにも対抗出来ないだろうというところまで追い詰められる。結局は「上司からの命令の全てに従わなければならない」

全て、そう、全て。

上司が飲んだ空き缶を、たった数m先のゴミ箱に捨てに行くのも部下の仕事。可燃・不燃を混ぜられた泥だらけのゴミを細かく分別するのも部下の仕事。どうしてゴミが混ざるかって、上司が適当にゴミを投げ付けているからに決まってる。

電話に出れなかっただけなのに鍵を投げつけられる。突然、鍵を閉められる。検定に合格しても「頑張っていないから」という意味のわからない理由がつけられ不合格同等の扱いで再検定で走らされたこともあった。まるで罰走。

声を殺して泣いた夜は、指ではとても数えきれないほどだった。

どれだけ雨が降っていても不必要な指示によって動かされ弄ばされバカにされる。毎日毎日、意味のないことばかりを押し付けられ悪口を叩かれる。


どれだけ理不尽でも無意味でも、 上司からの命令の全てに従わなければならない。

そして、彼らに天罰が下る日は来ない。
順調に昇任し、給料も増え、プライベートでもきっと楽しく暮らしている。

正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、果てには正義の介入へと踏み出す。

初めて他人を恨んだ。憎んだ。
そして殺したいと思った。

そこに銃があれば私も、
上司を撃ち殺していたかもしれない。

生きることが辛くなった。仕事が特殊なだけあって友達にも簡単に相談できなかった。

自衛隊すごいね!と言われるたびに、私は周囲へ心を閉ざしていった。「そんな場所じゃない」と助けを求めたくとも無駄な詮索をされたくなかったから何も言い返さなかった。

「ありがとうございます」と返すだけだった。

その言葉が、その応援が、その期待が、本当はとても苦しかった。

誰もいない空間で私1人が大声を上げているような毎日だった。


人に命令したり、追い詰めたり、
侮辱することに快感を覚える人は多い。

そのために必死に努力して出世して人の上に立つ人だっているのだろう。

自分の受けた苦労やつらさを他人に免除させない、同じ苦しみを味あわせなければ気が済まないという考え。

まさに苦労のバトンが次から次へと未来ある新隊員に対して平気で投げつけられた。

有形無形の「力」を行使するしか選択肢を知らない人たち。

人は色んな顔を持っているし、
相手によっても態度を大きく変える。

偉い人が、「〇〇は良く仕事をしてくれる」とか「〇〇は気が利いて助かる」と、私に散々嫌がらせをしてきた上司のことを褒めていたことがあった。

その偉い人たちにとっては、私の上司は紛れもなく「動ける部下」だったのだろう。



死ぬほどの理由に値することは人によってそれぞれ違って、溢れ出る限界も人によって違う。

自殺と殺人。どちらも正しくないのは分かっている。

しかし「何が善で何が悪である」と、中途半端な正義を掲げることが一番危険とも言えるだろう。

死ぬほどのことか、殺すほどのことかって思う人もいるだろうけど、元巡査が感じていた絶望は、過去に私が感じていた絶望に等しかったのかもしれない。


こんなに悩み苦しむのであれば、選択肢としての「死」は悩みや苦しみから解放される最良の選択肢にすら思える気持ちは痛いほど分かる。

果たして、理解者がいなくとも、賛同者がいなくとも、まずは私が、元巡査が、勇気を、尊敬を、示さなければならなかったのだろうか。

人の死を以ってして気付くことがあまりにも多すぎるのではないだろうか。そして善人を振りかざす悪人があまりにも多すぎないだろうか。

上司を見下すのではなく仰ぎ見るのでもなく媚びを売るのでもなく、私のことも、ただ対等な存在として接してほしかった。

犯行の悪質性や社会的影響を含む結果の重大性、動機の身勝手さを挙げ、元巡査の思考傾向の特性や反省の状況を考慮しても、刑事処分以外の措置が相当とは認められない

社会的処分は、確かにそれが妥当なのかもしれない。

被害者の妻は「家族はかけがえのない存在の夫を亡くし、絶望のどん底に突き落とされたようで、今も深い悲しみの中にあります。強い憤りを感じるのみです」と弁護士を通じてコメントを発表した。

ごもっともである。

この人と一緒に働きたいか?この人が困ったとき、助けたいか?を決める最大の要因はその人の誠実さであり、仕事に取り組む態度。

「終わらせたくないから始めないようにする」ということもあった。

しかし、「いつかすべて終わる」ということに救われたこともある。

「これまでの自分」に見切りをつけ、「これまでの自分」を完全否定し、「これまでの自分」が二度と顔を出さないよう墓石の下に葬り去ることをするつもりはない。

「他者から認められること」を目的とした「他者の望むわたし」の人生を歩むつもりも、もちろんない。

いまは退職後の楽しみがあるから大いに毎日を楽しんでいる。

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