遠く離れた場所で、私の為に涙を流してくれた人が居た話
友人から連絡がきた。その友人と連絡を取るのは約2年振りだ。
その友人と出会ったのは約4.5年前。長野県で出会った。「山村留学」のため親元を離れて生活を送る小学生たちと共に過ごした日からだ。
友人はその山村留学先で働くスタッフだった。
2年前、「私、自衛隊に入ることにしたよ!」と連絡をしたのち私は入隊し、Facebookのみでの繋がりとなった。
そして2年後に私は退職の決断をしFacebookを通して報告した。
きっと私の家族ですら、決断の理由や内情を知らなかっただろう。
友人から連絡が届き何度かやり取りをしている間に色んな話へと発展し、
実は・・・と、話し始めてくれた。
友達とお酒を飲んでいた時に私の記事を読み、酔いが一気に冷めて涙が止まらなかったそうだ。
涙の理由が何故なのか、嬉しさか悲しさかよく分からない感情を抱いた。しかしただ一つ確実なのは『何もしてやれんかった』という気持ちが強かった。
と、私の知らない場所で、遠く離れたところで、涙を流してくれていた。
共に飲んでいた人達にも、その取り留めのない気持ちをぶちまけてくれて、友達全員が一緒になって自衛隊のあり方や日本の未来や社会のあり方とかとにかく熱く議論してくれたそうだ。
「国民の幸せな生活を支えている人たちが苦しい思いをしていたのに、関心すら抱かずに生活を送っていたことに遣る瀬無さを感じたんだ」と。
私からすれば、本当に感謝でしかない。「ありがとう」その言葉に尽きる。
そして気持ちが少し、報われた気がした。
生きていると言葉なんかじゃ救われないことばかりが起こる。しかし、大切な誰かからの言葉で重大な何かが報われたり助けられたり気付かされたりすることだってある。
社会人になって以降わたしは、「あらゆる自分の行動には相手を不快にさせてしまう可能性がある」と自分自身に決めつけた。そして人に不用意に近づきすぎないことと、誰かの意見に反する意見をできるだけ口に出さないことばかりを気にしていた。
そうしていれば少なくとも自分から誰かを不快にさせる機会は減らせるし、そうして不快になった誰かから「傷つけられる機会も減らせる」と考えたからだ。
もう私は傷つきたくなかった。もうこれ以上、辛い目に遭いたくなかった。
そして余計なことを詮索されたり自分から露呈することを恐れているうちに、なにも感じないように、考えないようにする癖がつき、本当のことを言うのがすっかり苦手になっていた。
取り繕って、それを外に出さないようにすることで感情の起伏を見せないようにした。
辛さと苦しさと誰にも言えない気持ちがぐちゃぐちゃになって自分自身を責め立てて、なにを頼りに思ったり、信じればいいのか分からなくなった。
家族や友達の中にある私の印象も、自衛隊の良い印象も、そのままの形で残しておきたかった。だから誰にも話せなかった。
これまでに沢山の人達に救われてきた記憶すら遠ざかっていた。
たまらなく誰かに会いたいのに、誰に会えばいいのかが分からなかったり、もはや誰が私と会いたいと思ってくれているかが分からなくなっていた。
「私は今、なにを失いつつあって、なにを得ようとしているのだろうか。得るものなんかなに一つなく、誰かのことを損ない、自分も尚更に失っていくんだろうか...このままずっと生きていくのだろうか」と考え込んでいた。
あの時の苦しみがあったからこそ今がある、と思えるほど私は強くない。そんなこと到底思えそうにもない。
しかし今になって分かったことがある。
伝えたい人に伝えたいことを伝えてみることで、伝わることもあるということだ。
そして、私のことが気に入らない人は私が何をしても気に入ってくれない。だからこそ気に入ってくれた人には、最大の誠意で応えるべきだと。
会いたいなら会いたいと伝える、会いたい理由は「会いたいから。」
ただそれだけでいい。
何から話せばいいか分からないなら、「何から話せばいいか分からない」と伝えればいい。
真剣な話をしにきたのにやっぱりなかなか話せず、どうでもいい話や、しょうもない話をして、笑われてたらいい。
ちゃんと話せるか分からないなら話しかけてみて考えればいい。好かれているのか分からないなら嫌われてから考えたらいい。生きる意味がわからないなら死んでから考えればいい。
そんくらいの気持ちでいいんだ、大丈夫なんだと思った。
ネガティブな考えの人間は大人じゃないとか、根性がないとか、そんなことじゃない。むしろ何もかも楽観的で前向きさを押し付けてくる人はポジティブで根性があってセンスがない。
前向きになる必要なんてない。落ち込むまで落ち込む。どこまでも傷つく。そうしたら、いつか落ち込んだ自分にも飽きてくる。
大切なことを思い出させてくれた、失った感情を取り戻そうとしてくれた、考え直す機会を与えてくれた友人には本当に感謝している。
そして春先、私はその友人に会いに行く予定だ。
私が必要とするのは確実な未来ではなく、新たしい未知。
私は自分で道を切り拓く。
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