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公務員から旅人へ。便利グッズ。たまに備忘録。

世界の子供達を救いたい。ペットボトルキャップでミャンマーの子供達にワクチンを届けた話。風に立つライオン

お題「もう一度行きたい場所」

もう一度行きたい場所といえばミャンマー。
自分の活動によって、ミャンマーの子供達の命が救えた瞬間を実際に目にしたからだ。


学生時代、私は「風に立つライオン」という映画を観に行った。2015年の話。

話の内容としては、

主演の医者(大沢たかお)が、少年兵達も巻き込まれて内戦が繰り広げられる国へ医療従事者として向かったがその国は医療が発達しておらず
「足を撃たれた」ともなれば「足を切断する」もしくは「死ぬ」の二択しか治療法が存在していなかった。

「もっと治療法はあるのに!切断しなくていいのに、死ななくていいのに・・・」と思い立ち、医療現場を変えていくストーリーだ。(超簡単に説明すると)

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「私にできることはなんだろう」「いや、考えている間に失っている命がある」「いますぐ行動を!」という感情に駆られた。

ペットボトルキャップを集めることで救える命があるということを小耳に挟んだことがあったため、映画を見終わった瞬間から友人に声をかけ始めた。

活動を始めた当初は、私の家族・友人に声をかけただけだったのが、

みるみる活動が広がり友人の友人、友人のバイト先のお客さん、など不特定多数の方々がキャップを集めてくださるようになった。

キャップからワクチンへとなっていくシステムは、
①キャップを集める
②リサイクル業者に持って行く
③リサイクル業者は、キャップをリサイクルしお金を得る
④そのお金を「世界の子供たちにワクチンを 日本委員会(JCV)」に寄付する
⑤JCVがユニセフなどと連携し貧しい国へワクチンを送る

数々の苦悩を乗り越え、大学3回生の頃、リサイクル業者と提携を結び開始から3ヶ月で集まった41kg(中学生の女子一人分くらいの重さ)のキャップをリサイクルしてもらうことに成功した。

ペットボトルキャップ2kgでワクチン1人分

つまり、約20人分のワクチンを寄付したということ。その後も、何度も足を運びリサイクルし寄付し続けた。

そういった活動の中で、「もっと効率よく集める」ために当時通っていた大学のキャンパス内にペットボトルキャップの回収箱を設置し集めていきたいと考えるようになった。

そして大学の教授に相談し、大学側の協力が必要不可欠であるため、ペットボトルキャップ回収箱を設置する目的や、内容、手段、予算など様々な情報を記載した企画書を大学側に提出した。

そして数日後、「ペットボトルキャップの取り組みを承認します」という電話がかかってきて大学側に活動が認められ、さらに活動の幅を広げることに成功した。

その後、話はとんとん拍子で進み、規模の拡大に合わせ、リサイクル業者自らキャップを回収に来てくれることになった。

開始から8ヶ月。
私の思い立ちから大規模な活動へと動いていった。

しかし基盤を作るためのその8ヶ月間が一番苦労したと今になって思う。

当初、キャップを回収している学校や団体、近くのリサイクル会社、どこへ電話をしても断られる一方だった。

「いまはやっていない」「コストが…」という「大人の理由」で断られ続けた。

しかし、そうした苦悩を乗り越えてこれたのは、いつも気にかけてくれている家族、一緒に活動してくれている仲間、第三者である私を信じて協力してくれている不特定多数の方々、活動を信じてくれた人たちの献身的なサポートのお陰だった。

たくさんの仲間たちからの助けのおかげで苦労を乗り越え、やっと、歯車が噛み合ったのだ。

ペットボトルキャップからワクチンへと変えていくことは、世界の子供たちを救う一つの源。私は、今でもそう信じている。

飢餓や感染症で世界中の何人もの人たちが今日一日で命を落としているということを知らない人はいないはず。

何かに挑戦しようとすると、お金が親がバイトが仕事がといろいろな言い訳が頭をよぎる。私もそうだった。

しかし、それだけの理由で諦めてしまって本当に後悔はないのか。諦めてしまうのか。

「命を救う」といえば遠い世界の話のように聞こえ、自分では挑戦できないことのように思うかもしれないが、

身近なところから救える命があるということに少しでも多くの人に気付いて欲しかった。

世界にワクチンを届けるのであれば、募金をすれば早い話。

しかし、なぜペットボトルキャップの回収にこだわったのか。

それはペットボトルキャップを集めワクチンに変え届けるためにかかる「時間や労力」は、貧しい国々で働く人々がお金を手にするまでにかかる「時間や労力」と同じだと考えたからだ。

つまり、救いたい人たちと同じ尺度を持ち同じ視線に立つためにも、募金ではなく間接的な支援で時間も労力もかかるペットボトルキャップの回収にこだわった。

自ら起こした活動がどこに繋がっているかは目に見えて分かるものではなく、不透明で私自身も手探りの状態だった。

しかし後で振り返ってその点の繋がりに気付くはず。もっともっと時間が経ってから分かることもたくさんあるだろう。

今やっていることが小さくとも、いずれ世界に対して大きなうねりをあげる。

必ずどこかに繋がっていると信じて活動を続け、そして社会に対して訴えかけた学生時代を、そして助けてくれた友人の存在を、私は誇りに思う。

そして今もなお、教授や後輩たちのおかげで活動が受け継がれていることを大変嬉しく思っている。

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