心愛ちゃん虐待死事件。非難されるべきは自身も暴力を受け心愛ちゃんを守れなかった母親なのか。
先月末に、この痛ましい事件が起こった。
心愛ちゃんの母親の逮捕は妥当なのか。
SNS上では、「心愛ちゃんを守れなかったのだから母親も逮捕されて当然。」「当たり前だ」などといった声も多く上がっている。
しかし本当にそうなのだろうか。
心愛ちゃんがアンケートで父親の暴力を相談した。
その幼い子供からのヘルプを掬い上げてやれなかった、ましてや市の教育委員会の担当者は父親に怒鳴り込まれ「精神的に追い詰められて、やむにやまれず(アンケートのコピーを)出してしまった」というのだ。
教育委員会という組織に守られている担当者が、何よりも守らなければならない児童の安全を脅かすような真似をするくらいの恐怖を感じたというのだ。
しかしそんな言い訳がまかり通って良いはずがないだろう。他人が納得するはずがないだろう。そして心愛ちゃんが納得するはずがないだろう。
推測ではあるが、アンケートが父親の元へ渡ってしまったことで心愛ちゃんへの暴力がエスカレートしたことは言うまでもない。
幼い子供が勇気を振り絞って学校や教育委員会に助けを求めたにも関わらず、大人たちは自分の保身ばかりを優先して何もしてくれなかった。そしてそれどころか、助けを求めたにも関わらずその手を振りほどいて誰も繋いでやらなかったのである。
そんなこと絶対にあってはならないことでしょうよ。
ねぇ、
ねぇ、
ねぇ・・・。
心愛ちゃん・・・。
ましてや母親は1歳の次女を抱え、父親でもある旦那から暴力を振るわれながらも身寄りのない千葉までやってきているのだ。果たして誰を頼れたというのだろうか。
旦那からの暴力から逃げようとも、見知らぬ土地でどこまで逃げ切れたというのだろうか。そしてもし見つかった時の始末は・・・。
暴力の最中にいる人は、自分がどのような暴力を受けているか認識することすら難しい。「自分が大袈裟なのか」と感じ始めるのである。
私も職場で酷い扱いを受けているからその気持ちは痛いほど分かる。
退職を選択すれば「我慢が足りない」と言われ、「どこに行っても人間関係は付き纏ってくる」と被せられる。
そして、それが真実かのように聞こえてくるのだ。
それが「洗脳」なのだ。
暴力被害者が、その時その時に正しい選択をすることはとても難しかっただろうことは容易に想像がつく。
どんな思いで「心愛」と娘に名付けたのだろうか。
「心愛」
これだけを見れば、心愛ちゃんの両親はこの子が産まれたことを心から喜び、祝福したのだろうと思ってしまう。だが、心愛ちゃんはわずが10歳で、名付けた父親の暴力によって命を絶たれてしまうのである。
もし心愛ちゃんが生きていれば、自身の名前から親の愛情を感じ取れる日が来ただろうか。きっと、虐待を受けている間も親のことを憎みきれなかっただろう。結局はどんなことをされても幼い頃の拠り所ってのは「両親」なのだろう。
あくまで一個人としての意見だが、
逮捕されるべきは児相であり学校の方じゃないのか。
しかもたった1回脅されただけで、大の大人が雁首そろえて、ビビって作文を渡したというのに、幼き一歳の次女を抱きかかえながらの母親に「守れ」なんてあまりにも無情すぎるだろう。
心愛ちゃんの作文にもあったが、この母親は心愛ちゃんを一緒になって虐待していたわけでもなく、むしろ自分自身がDVの被害者だった。
DVの被害にあっている人は、その恐怖心から、人なんか誰一人信じられないし、分かりやすくいえば、DV加害者に恐怖で洗脳されている状況だ。
「こんな状況は嫌だけど逃げたらもっとひどいことが起こる。」ってくらい誰にだって分かっていたことだろう。
「相談に載ります。秘密は守ります。」なんて言われたって、それがいかに他人事で、安直な言葉で、そんな言葉なんてうかつには信じてられないだろう。
世代に渡って、あきらめしか解決策にない社会をどう捉えていけば良いのか。
言うまでもないが、子供にだって立派な人生がある。子供の人生をなんだと思っているんだ。
きっと地獄はあの世ではなく、この世にあるのだろう。